民主党も追随し、共産党も無視を決め込んだ八紘一宇

八紘一宇は低い価値観

八紘一宇はどんなに頑張っても家族観の延長でしかない。恣意的な範囲を一つ屋根の下の家族と措定すれば、それ以外の存在は邪魔なものであり、気に食わないものは排除する価値観である。

八紘一宇は間違った価値観ではなく、低い価値観だということ。

国家にとって大切な価値観は自由や人権

価値観はあれかこれかによって定められるものではなく、階層的に体系化しているものである。家族の上には社会があり、そこでつくられた価値観は人格や所有権である。人格とは人は自由な精神を持ちそれぞれの要求を持つことを認めることであり、所有権は人格の延長として物も人がそれに働きかけたなら人格の一部のように扱うことである。家族感では人格も所有権も中途半端にしか実現されない。家族の中では共有が基本だ。

社会の上に国家がある。社会の自由があってもそのまま放置すれば独り勝ちになってしまう。そこで平等な立場での自由を確保する必要がある。それが国家である。民主主義や人権、独占の禁止が近代国家の法だ。

グローバル資本主義の光と影

グローバルかどうかにかかわらず資本主義には欠点がある。この欠点を補うのが国家であり、グローバルであるなら、国際社会である。

歴史的には1920年代から経済がおかしくなる。これはグローバルでおこり、ブロック経済化し、その結果経済はさらに悪くなった。その結果の戦争であり、その結果の人権や国連憲章やIMFである。

三原氏の認識には過去の反省が全くなくユートピア的な思考しかない。まずはそのことを自覚し八紘一宇などと軽々しく持ち出さないことだ。

右翼や保守

八紘一宇という言葉をいくら肯定的に解釈しようとしても、当時の人間も肯定的に使ったのだから言い訳にはならない。当時の人間の何が間違っていたのかを明らかにしその上で、この言葉を発展的に使うべきだ。そうでなければ日本は同じ惨禍を味わうしかない。

追随した民主党

民主党の綱領を読めばそれがわかる。
http://www.dpj.or.jp/article/principles

我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。

意味をなさない。「生活者」とは国民と同義で書く必要がない。「納税者」は子供を対象にしないという意味しかない。「消費者」も同じ。「働く者」も大体同じだがこれは株主や経営者を排除しているのかもしれない。消費者と労働者は対立するかもしれないし、経営者や株主がいなければ資本主義は回らない。立場に立つというあいまいな言い方では恣意的になんでも言えることになる。綱領は国家の立場に立ち、社会をどうとらえどのように自由を実現するのかを書かなければ何を目指しているのかわからない。

1.共生社会をつくる
官が独占してきた「公共」をそれぞれの主体に還す。
外交の基軸である日米同盟を深化させ

民主党に足りないのは社会と国家の違いを理解できてないことである。上にも書いた価値観の重層的関係を理解してないこと、だから一部の議員が八紘一宇を国の大切な価値観ということに「違和感なし」と言ってしまう。

物事を本質的に理解するとは全体の中でそれを位置づけ、他との関係を記述できることである。馬淵氏は他の現存する価値観について何も言ってないのだから本質などとはいえない。歴史の中から好きなものを選んでいるだけにしかすぎない。

無視を決め込んだ共産党

共産党が無視した理由は、グローバル資本主義を批判した文脈だったからか、あるいはポピュリズム化して皇室にまつわることを批判するのが怖くなったからか、あるいは唯物論だけで考えていて言葉に意味がないと考えているか、いずれかだろう。

共産主義は社会の原理である資本主義を批判はできても、その上の国家をどうあつかえばいいのかがわからない。マルクスは観念的すぎるし、エンゲルスは適当なこと言うし、それでレーニンも困ったし、ソ連も崩壊した。

共産党が本気で国を動かすつもりなら、いつまでも資本批判だけで満足せずに、国家観を持たなければならない。