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評価はガラパゴスにこそ与えられる

最近ガラパゴスって言葉が流行っていて、なんか経済に関することのようで、ガラパゴスだと駄目だ、みたいに否定的に使われるようです。しかし本当にそうでしょうか?人間がある人間を評価するとき、本当にすごいと感じるひとはどんな人でしょうか?それはガラパゴス島のように、他では見ることのできない何かをもっているからではないんでしょうか。

日本は戦後から50年以上、他国をモノマネでやってきました。少なくとも産業の多くの部分ではそうです。それで、その成果が世界から評価されているのか、といったらそうではないといわなければなりません。例えば車は評価されています、確かにそうですがその評価のされ方の多くは燃費がいいとか小型だとかいう言わば量的なところにしかありません。そういったものは経済的な理由によって求められているだけで、質としての評価ではありません。もちろん例外があるのはしっています。ホンダなどは特にその質が評価されていることが多いような気もします。

では本当に、つまり質的なもので評価されるにはどうすればいいかといえば、それは日本人ならば日本的な、すなわち世界のことなど考えずに日本人にとって評価されるものをつくることだと思います。例えばアニメやゲームがそうです。こういったものがグローバル化したなかで評価されるものだと思います。ただし、最近は経済産業省なんかは勘違いして、クールジャパンなどといってこれを最初から海外に視点を置くかのような言い方をしていますが、大変な失敗をする危険があると思います。

こう言うふうに言っても、現実はそんな簡単じゃないと反論されるでしょう。しかしそれはここで言ったこととは別の領域で解決すべき問題だと思います。現実的に上手くいかないからといってここに書いたことが嘘ということにはならないと思います。

麻生さんはアニメを持ち出すのをやめたほうがいい

サブカルチャが侵食されている問題は散々書いたから同じことを何度も言いたくはないのだが麻生氏がまたアニメを持ち出して会見しているので頭にくる。

http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2519.html

こういうことをするとどういうことになるのか麻生氏には創造もできないことだと思われるので、また違う視点から書いてみよう。国によってアニメ産業を促進するということは、アニメ産業にお金を出すということである。人間はお金をくれた人を露骨に批判することはできない、これは事実だろう。となればアニメはストーリを作成するものであるのだから、そのストーリーの作成段階において重要な足かせをはめることになる。誰しもが国というものを肯定的に捉えているわけではない。そうならば、アニメに対してお金を出すということは、製作者の創造性に枠をはめることになり、それが国による支援となれば、現状肯定を思考に迫る。現状肯定できない人間は自らの能力を限界まで開く契機を失うことにつながる。ストーリーを作るのは漫画だから、といってもそれと密接に結びつくアニメがこういう状態になれば何らかの制約を思考に与えるだろう。もちろんだからといってすべての人にとって否定的にだけ作用するとは言えないが、これを肯定的に消化しつくせないということも十分ありえる。

とするならば、この国というものに対してそこに暮らす人々が肯定的に捕らえられるようにしなければならないのだが、これも何度も書いたが麻生氏にはそうした問題が全然見えていない。これは間違いのないことだろう。少子化の問題も実は同じ根を持っていると自分は思う。少子化といっても結婚をしている人の出生率は2くらいあるそうなので問題は婚姻率なのだ。そして結婚するということは国に対して婚姻届を出すということなのだから、国というものに対して大きな否定意識をもつことが結婚の障害になるのだ。

麻生氏は資本主義というものに対する抵抗感がまったくない。しかし自分は資本主義はそれが純化されていれば人間を不幸にするものだと思うし、それに対する抵抗力があったからこそ社会はここまで続いてこれたのだ、と考える。その抵抗力とは例えばフォードが行ったようなフォーディズムでもあり、ソ連の存在でもあり、年金でもある。フォーディズムは一経営者の一判断だったと思うが、その影響はとても大きいものだったと思う。現在はこれらの資本主義をずらす存在ものがすべてなくなってしまい資本主義が純化された時代になってしまった。大企業が平然と派遣切りをやり、しかもそれをあたりまえのように大々的に発表する。しかし日本人の倫理にとってこういうことは肯定的には評価されないだろう。こういう社会を評価しないだろう。だとすれば正社員にとってみてもこういう社会を促進させることを躊躇するようになるだろうし、例えばそれが生産性といったものに現れているのかもしれない。トヨタやキャノンが就職希望ランキングで大きく順位を下げたらしいが、これもその表れだろう。

麻生氏が行っている政策はすべて企業援助であり、純化された資本主義ではそれは労働者を助ける契機にはならない。麻生氏が頼っているのはトリクルダウン理論とも呼ばれていたものであり、そういう契機があるとすれば個々人の倫理だけだが、そういう倫理が大きい企業ほど競争に不利になるというのが資本主義だろう。ある人々は年功序列をなくして雇用の流動性を高めることを推進しているが、自分も労働者保護強化という条件付ならばそれに賛成するが、そうでなければますます資本主義を純化し、ワーキングプアを増やすことになると思う。

なぜ日本のドラマはおもしろくないのか?

日本のマンガやアニメは海外でも人気があり、manga,animeとして英語でも通じるほどになった。しかしドラマは全然通用していない。これはなぜか?

簡単に言えば、プロがやってないからだろう。出てくる役者にしても素人かと間違うくらいの演義の下手さ。日本には役者のための学校はないのだろうか?あるはずだろう、なぜそういう人が出ないのか?自分もドラマはほとんどで見てないので分からないが、民放のものは得にひどい気がする。

多分、韓国や台湾にも日本のドラマはクオリティと言う面で負けていると思う。そんな出来の悪いドラマがせっかくのマンガを台本にされると、せっかくの日本のマンガが台無しにされる。

テレビとマンガは違うのだ 「ブラッディ・マンデイ」に思うにはマンガと違うから面白くないという話だが、そういう面もあるかもしれないがやっぱり日本のドラマにした時点でもうダメなのだ。すべてがダメになるのだ。人気のあるタレントだけつかって、視聴率のみに気をつかってるからこういうことになるのだが、ということは国民がそもそもまともな評価をできないということなのだろうか?

ちなみに海外で通用する日本の文化に「お笑い」もある。お笑いもみんなプロがやっている。一見素人にもできそうに見えるが、絶対に素人はプロのようにできないはずだ。だからこそ世界でも通用する。そういうプロの人たちを蔑ろにするのが日本のドラマである。

ここなどを見るとジャニタレ目当てで見ている人が多いそうだ。前にも書いたが、これは人間をその技術ではなく外見で評価することであり、殆どの人間はそんな美人でもイケメンでもないのだから、このような評価が蔓延すれば自分に返ってくることになる。

そういうわけで、日本のドラマを見るのをやめよおぅ。