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左翼はベーシックインカムに対して保守的過ぎるのか?

左翼が保守的になる理由はすぐにわかる。もともとマルクスの思想は自分たちのそれを科学的社会主義と呼び、それ以前の社会主義を空想的社会主義として批判した。空想的社会主義者とされたフーリエ、オーウェンなどは自ら考えたより良き社会体制を考え実践したがうまくいかなかった。

いまのBI推進派の論調を見ていても常に貨幣を基準に考えているが、貨幣そのものには価値などない、ということをすっかり忘れていて、社会構造を大きく変えるようなことをすれば貨幣の価値のありかたそのものも変わる可能性があるのに、そのことをほとんど考えていないといえると思う。

だからどうしても懐疑的になってしまうが、とはいえそれをちゃんと検証しようとなると、まず空想的社会主義者のこともよく調べなければならず、フーリエなんかも頭がよかった人なので大変で、BIについてもどう考えればよいのかわからなくなってしまう。

価値は労働によって創造される。これが基本テーゼだが、マルクスは当時の賃労働者を個性のない人間と考えていたので、いわゆる芸術的労働については例外的なものとして扱っていた。よってこれらがどういう交換価値をもちえるのかわからない。

と同様に怖いのが、BI推進派の人々は資本についてあんまり考えていない点だ。BIの世界では生産手段を所有する人格がとても大きな権力をもつ怖さがある。それは国家をも凌いでしまうのではないか、という感じもする。

およそこういった理由が左翼がBIに対してもつ不安感で保守的になってしまう理由だと思う。

ベーシックインカム

ベーシックインカムの実現した社会を考えると、そこではもはや人々は飢餓や生存の恐怖から、程度の差こそあれ、ある程度開放される。その結果単純作業をしている労働者は仕事をやめ、その結果それらの賃金が上がる。価格が上がる。衣食住ガス水道鉄道(必需)の価格は上がり、想定していたベーシックインカムの最低価格を上昇させなければならなくなるかも。知れない。一方賃金の上昇により、それらを機械に置き換えることが要請される。

となれば労働力の価値はどう測られるのだろうか?それが個人にとって自己実現に結びつく度合いによって、つまりその労働に自分の精神が同居できる度合い、精神を投入できる度合い。10%しか精神投入できない労働は50%精神投入できる労働の5倍の賃金が必要になる。これは単純すぎる計算だがプラスの傾きをもつ傾向で表されるだろう。

しかし必需的な単純労働は一定期間は誰かがやらなければならないから、それは最終的には徴用が必要になるかもしれない。とはいえそれらの生産設備は国のものではないのだから簡単にはいかない。

一方芸術的創造は交換価値を持ちえなくなる。それらを創造し流通する手段はもう個人の手にあるからだ。

企業の側ではベーシックインカムの実施により、その分だけは賃金を下げてもよい、という道徳的な影響を受ける。

結論としてはどうなるかわからない。よって政治的には限界に来るまで実現されない。かな