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双子のパラドックスと時間と時計

自分は大学は理系だったのだが、物理学科ではないし、相対性理論のことなんか全然わからない。今は物理の勉強よりも哲学や経済学や歴史や宗教の方が面白いと感じている。だから、時間がゆっくり進むとか空間が歪むとか光の速度は一定、とか言われるとどうしてもそれを哲学のほうから解決したくなってくる、もう少し正確に言うと思考の問題として解決したくなってくる。もちろん相対性理論のことはよくしらないからそれが本当にこんなことを言っているのかも確かめてはいない。

そこで、相対性理論の「双子のパラドックス」について、それを解決してみたい。もちろん自分が考える程度のことはすでに誰かが考えていて、なんらかの間違いを含んでいるとは思っているが、上に書いた最終的な目標は変わらないと思うので試論として考えたい。

双子のパラドックスというのは、俗流と本当があるらしく詳しいことはしらないのだが、少なくても俗流としては「双子の一人がロケットに乗ってすごいスピードでどっかへいって帰ってくるとどっちかがより若くて、どっちがかより年寄りになる」ということらしい。

まず哲学においては時間ということをあまり問題にしない。よってここでも時間という言葉は使わない。速さとか動きとか言う言葉も一般的意味として使っている。

まず時計というものを考えると、それは振り子のようなものだと考えられる。すごく精巧なものはそうではないかも知れないが、いずれにしろそれは動きに影響をうける。動きにはどんなものでも影響を受けるはずだからどんな精巧なものでも影響を受けるだろう。コップの中に何かをいれて、コップを動かせば中のものも何かの影響を受けて、動かしてないものとは違う動きになる。

よって双子のパラドックスは簡単に解決できる。ロケットに乗って移動すれば、その中の時計は影響を受ける、それは遅れるかもしれないし進むかもしれない、しかしそれが年をとるということはまったく無関係である。もちろん年をとるということを正確に言うのは難しい。とうぜん人間だって、それを組織している細胞だって動きに影響をうけるから、それによって年をとると言えるような変化を受けるかもしれないが、それはまた別の問題だろう。

結論、双子のパラドクスは間違い。ロケットで行って帰ってきても、年は変わらない。しかし時計は違っている。

保守の地位をとりもどせ産経新聞

産経ニュースの記事外国人研修生の実態把握へ 厚労省が初の調査

外国人研修生については、いままでも多くの問題があったようだが(参考1、参考2)、主要マスコミを賑わすことが少なかったと思う。産経は外国人研修制度に批判的なようで、それは保守の考えから出てきたものと思われる。

つまり移民をいうことをどう考えるかの問題だ。欧米などでは個人の自由が尊重され、本人が希望するならばそれは認めるべき、という立場であると思う。以前でテレビで日本へ働きに行きたいといっていたインド人が、その理由を「日本に憧れているため」と言っていた。

私はこれを聞いたとき、どうにも歯がゆい気分になった。もし本当に日本に憧れているなら、自分の国を日本のようにすればいいだろ!って思ったからだ。しかしこうやって声を大にしていえない理由もある。いわゆるグローバル化とは誤解を恐れず言えばグローバル企業による世界支配の構図であり、そういう構図が進んでいくならまず彼に言うより、このグローバル化に対してそういわなければ弱いものいじめみたいになってしまうからだ。

グローバル化すればそれはひとつの価値基準で物事を見ることを意味する。その価値基準の土台以外の価値基準は文字通り価値のないものとして切り捨てられてゆく。哲学という学問がある。人間誰しも物事の本質を見極めようとすればいつかはここに行き着く。しかしあとになって気づくことがある。自分は日本人なのになぜ西洋の学問にそういうものを求めているのか、という疑問である。

戦後民主主義や進歩的知識人という言葉があった。これらの言葉は、それを批判するために用いられるものだと思うが、その底流にはこのような疑問があるからだと思う。しかし自分にとっては右よりと言われる人々や民族派と呼ばれる人々の論理には到底納得できないのだ。彼らの考え方の根底には戦前の美意識があり、それに合うように言葉を紡いでいるだけで、西洋の価値観に対抗するほどの大風呂敷を敷いているわけではなかったからだ。

今移民を推進しているのは資本の要請だ。左翼としてはこれには抵抗しなければならない。資本がほしいのは低賃金労働者であり、自由などといったとしてもそれは仮の姿でしかない。しかしこの論理に対抗するとすれば、それはひとつの価値基準ではダメだ、というしかないと思う。

なぜひとつの価値基準でダメなのかといえば、それはその価値基準の土台に上らない人を切り落とすことであり、そして何より、そんなの面白くないよ、と言えるからだ。

話がばらばらになってしまったが、今は産経新聞のみがこのような主張のできる可能性のある唯一の媒体であると思う。