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マルクス理解の整理

http://agora-web.jp/archives/522309.htmlより

『資本論』の主要なテーマは、市民社会そのものではなく、ほんらい自由・平等な市民社会からなぜ不平等な資本主義(資本家的生産様式)が立ち上がってくるのか、という問題です。

”ほんらい自由・平等な市民社会”という言い回しは、多分にイギリス的なものであって、ヘーゲルを経ているマルクスがこんな想定をしているとは思えななぁ。

これはすべての利潤が消滅する市場の中でいかにして付加価値を生み出すか、というイノベーションの問題でもあります。

全然違う気がします、マルクスは”イノベーション”など放っておいても起こってくるものであり、それは個別の問題であり、そういった物の全体を捉える、と言う視点と思われます。”利潤が消滅する市場”とはなんだろう?マルクスにおいては利潤は剰余価値のことであり、労働力以外の商品の交換では利潤など発生しない。個々のレベルで見れば、利潤があるように見えても、もともと等価交換であるので全体として見れば、ただのゼロサムゲームにすぎない。こういった視点はケインズのような企業家からの視点であって、マルクスのような全体を見る視点からの発想ではない。

マルクスはこれを「貨幣の資本への転化」として説明しました。

のではなく、”貨幣の資本への転化”は必然的結果として捉えられているのだ。

そのコアにある論理は、労働力の商品化です。資本家は労働力の価値に等しい賃金を労働者に払って、その労働の生産物を売る。したがって労働によって創造される価値から賃金を引いた剰余価値が資本家のものになる、というわけです。しかしこの論理は、よく考えるとトートロジーです。

労働を商品として見るのが”労働力”だと思うので、”労働力の商品化”とか”労働の価値”(アダムスミスの言葉)はおかしくないかな。

なぜ労働の価値が労働力の価値(賃金)をつねに上回るのか、もし下回ったらどうなるのか、といったことについてマルクスはまったく説明していない。

もし下回ったら、上回るように努力するし、努力しなければ資本がなくなって社会から消える。そういった個別のことはマルクスは考えない。それでなにがトートロジーかはよくわからないんだが、マルクスの剰余価値はとりあえずは仮説あるいは定義なのです。実証は現実を見ればいいのです。

私は、資本主義の矛盾はもっと根本的なものだと思います。それは等価交換を原理とする市場と不等価交換を原理とする資本主義の矛盾です。

これは企業家の頭の中にある矛盾であって、システムとしての矛盾ではない、システムとしての矛盾は資本がどんどん大きくなってついには限界に来ること、金はあっても使い道がない、しかしその一方、貧乏人があふれている、と言うことです。

ただ、これで「金融資本主義は終わった」などと断じるのは早計で、特に日本には金融資本主義もろくにできていないので、まだ大きな鞘があります。

おっしゃるとおりですが、このまま資本主義を拡大させるのか、あるいは弱めていくのかは大きな問題です。

市場が同化のメカニズムだとすれば、資本主義は差異化のメカニズムであり、経済のエンジンは後者です。

資本主義そのものに対する差異化も起こってくる。差異化とは人間に備わった能力であり、資本主義でだけ可能なのもではない。経済のエンジンといっても、大部分の人間にとってマイナスのエンジンならば差異化により捨てられるのです。

ノブタンの文章は検索用RSSリーダにつねに引っかかってきて、しかも一言言いたくなる。まとめとしてはノブタンの思考は基本的にイギリス的、アメリカ的、実証主義的。経済としては企業家的。よって、まず日本の企業家をどうにかしたほうがいいんじゃないのかな。BCASの時みたいに。そんなわけで、これからもがんばって下さい。

ノンワーキング・リッチ

池田信夫氏のノンワーキングリッチを読んで感想文。

先日の秋葉原事件の犯人も、年収は200万円というから、韓国の一人あたりGDPぐらいで、絶対的基準でみれば「プア」とはいえない。

このような言い方をするひとがたくさんいる。しかし、まず、日本人は韓国人でもインド人でもないし、彼らがどのような意識をもって日々暮らしているのか知ることもできない。多くの日本人が知っているのは自分が生きていた時代であり、意識(無意識?)の対象はここと比較することが多い。他国と比べたらまだまし、という言葉は論理的にはそのとおりでも、以前と比べたらましじゃない、とうことを言外に含んでおり、モチベーションという点からは人間の意識にプラスの効果をもたらすことはないと思われる。

ブルーカラーの待遇は労働需給の従属変数なので、それ自体を「是正」することは無意味だ。

まず労働を需要と供給だけで考えるのは十分ではない。労働者はどんなに安くなっても、それで生きていけるなら、それを売るしかない。いや、いま思った。労働のダンピングが行われたのだと。えらい人たちが集まって、少しづつ賃金さげようよ、みたいな話し合いが行われたんだと。みんなで下げれば怖くない。と思って探してみたらやっぱりこんな本が出ていた。内容はもう少し社会的なようだがいずれにしろ労働を需要と供給で決まるなんてのは嘘だ。

問題はワーキング・プアではなく、その裏側にいる中高年のノンワーキング・リッチである。

まるで中高年が若者から賃金を奪っているような書き方だが、中高年の賃金を下げたところでそれが若者に行く保障なんてなにもない。企業は競争しているわけだから、その分をまず利潤に組み込んで企業価値を高めようとするだろう。でなければ競争に負けてしまうわけだから。

池田氏の考え方が新自由主義なのか知らないが、こういう主張をする人たちには決定的に欠けている点があると常に感じる。それが何なのか?核心はまだつかめない。