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戦前を彷彿とさせる麻生内閣

私は心情的には麻生総理を応援している。麻生さんは真に日本人のためを思い、輝かしく皆が明るく幸せに暮らしている日本にするために最高の努力をしていると確信している。だからこういうことは書きたくないのだが、麻生総理も私などには同情されたくないであろうから、書いておくことにする。

麻生総理の言葉「活力」、「ピンチはチャンス」、「痛みを恐れず」、「日本はダメージはたいしたことない」。これらの言葉を聞くと私は非常に暗澹たる気分になる。彼が日本人を騙そうとしてそういうことを言っている、ということではなく、それが戦前の日本の偉い人たちの言葉とかぶるからだ。

「一億玉砕」、「竹槍」、「精神力」、これらの言葉を聞かされたとき当時の日本人はどう思っていたのだろうか?今の日本人と同じではないのか?

日銀の生活実態調査を見ればわかるように、日本人の気分はどんどん暗くなっている。社会としてこれを見れば社会は完全な病気状態だ。病人に向かって「ピンチはチャンス」、「活力」という言葉がどう響くのか、麻生総理は考えたことがないのだと思う。と同時に麻生総理を含め政治家の方々はやはりあの戦争の反省ができていないのだと思う。

病人に必要なのは「麻酔」と「手術」だ。政府通貨という、「麻酔」が登場した。しかし麻酔だけでは無意味だ。麻酔が効いている間にどのような手術を行うのか?そこが問われなければならない。

2兆円の給付金について

結論を言うと2兆円の給付金は自民党が実行する限りうまくいかない、である。

この問題に関しては常に経済学的側面からしか議論されていないが、問題の本質はそんなところにはない。政党支持率などを見てもわかるとおり、国民は自民党に愛想を尽かしている。いや、散々自民党にいじめられて、自民党を恨んでいるのだ。

そんな人たちが何かをしようとしても、うまくいかないような行動を取る。私ならそうする。
国会でこういう議論をするわけにはいかないだろうが、なぜテレビやネットでこういう論調を見ないのかわからない。そういった感情的な議論は馬鹿げていて、理性的に考えるのが大人である、と考えているからだろう。

あるいは理性的に考えても、今の自民は構造改革路線を捨てたわけではない。もちろんそれはそれでひとつの考え方だが、自民党はそういうことを自ら進んで公言しようとしないのだ。そこを見透かされ不信感がたまり、結局自民党がやることは支持できない、となってしまうのだ。

自民党は派遣義理問題の原因をすべてアメリカの金融恐慌に求めて、自分たちの責任を回避しようとしている。私も含め国民が聞きたいのは、今自民党は構造改革をどう評価しているのかと言うことだ。しかし自民は答えない。国民なんて馬鹿だと思っており、騙しきれると思っている。

国会答弁を見てもよくわかる。質問に正面から答えない。わからないならわからないと素直に言えばよいのだ。間違っていたなら、間違っていたといえばよいのだ。だが自民にはそれができない。麻生にもできない。こういったところに自民に対する不信感がある。自民党の人はそれに気づいていないか、気づかない振りをしている。

麻生総理の漢字読み間違い問題のまとめ

麻生首相が漢字を立て続けに読み間違い、今や自民内部からも飽きられ気味になっている。

しかしこの問題はただ単に漢字を読み間違えたということにとどまらない。もし未来の人がこの事件を振り返ったとき、当時の日本人は狭量だなぁ、とか思われたら困るのでここにその顛末を自分の理解の仕方で記録しておきたい。この事件は3つのステージに区切ることができる。

第一段階

参議院の国会答弁で麻生首相が「河野談話を踏襲します」の踏襲を「ふしゅう」と読み間違えた。このときの映像がYoutubeにアップされ、ネットではプチ祭りになる。この時点ではまだ、マスコミは取り上げていない。自分もこのときは面白がって「ふしゅう」は「俯就」だなどとして、記事を書いたりしていた。

第二段階

「村山談話を踏襲します」の踏襲を再度「ふしゅう」と読み間違う。この時点でマスコミが一斉報道開始。麻生氏は外務大臣時代にもどうようの読み間違いをしていたことが明らかになる。ネットでは祭りになり、その他も数々の読み間違えも取りざたされる。しかし、この時点では政治家からのこの問題に対する発言はなかった。

マスコミの記者が、麻生氏に「最近漢字の読み間違えが多いようですが?」との質問をぶつける。それに対して麻生氏は「単なる読み間違え、または勘違い」みたいに答える。

このやり取りを一部のマスコミは「麻生氏、踏襲の読み間違えを認める」と報道。しかし自分が知る限り、麻生氏ははっきりと「踏襲」を「ふしゅう」と読み間違えた、とは答えていない。

第三段階

国会答弁で、自民党の山本一太氏が再度麻生首相に「村山談話を踏襲するか?」の質問をぶつける。多分この質問は、この問題を彼なりにはっきりさせたいとの思いでぶつけたのだと思う。それに対し麻生氏の回答「先日申し上げたとおりです」。一太氏はこれ以上つっこめなかった。

当然これでは駄目なのだ。先日申し上げたとおりならそれは「踏襲」ではなく「ふしゅう」になってしまう。自分の感覚ではこの時点で、一太氏をはじめ自民の多くの議員が麻生氏に愛想をつかした。

政治家にとって言葉は命であり、もっとも慎重に言葉を使い、誤解の生じないように努めるはず。直滑降の一太氏もそういう意味で、この言葉をはっきりさせたかったのだと思う。それは多くの自民党議員も同じだろう。

新聞は極力読まないという麻生氏、といいつつホントは読んでるだろう、と思ったら本当に読んでないのかもしれない麻生氏、経営者の面子をかけてどこまで行けるか。

踏襲?ふしゅう?それは俯就だった

麻生総理が踏襲を”ふしゅう”と読んだとしてプチ祭りになっている。踏襲が読めないといってもそれをもって麻生総理を馬鹿呼ばわりしててもおもしろくない。誰しも読めない漢字くらいある。だがちょっと待ってほしい。麻生総理は本当に間違えたのか?

詳しくは参議院のインターネット審議の2008年10月15日予算委員会のページの福島瑞穂のところの24:20あたりで見れる。

福島:慰安婦の問題に関する河野長官談話、日本軍の強制性を認めた談話を踏襲されますか?
麻生:いまご質問のありました慰安婦問題につきましては政府の基本的立場というものは現在も平成5年8月4日の河野官房長官談話を俯就するというものであります。
福島:・・・瑞穂の国の農業再生プラン

【俯就】フシュウ
自分の主義や主張などをむりにかえて他人に従うこと。〔礼記〕
自分より身分の低い者の意見に従うこと。〔元史〕
-漢字源より-

というわけで、麻生総理はこれでがんってほしい、しかし政府の基本立場が、「他人に従う」とかではやはりまずいかもしれない。でも麻生のことだ、経営者的視点でどうにかしてくれるだろう。

ところで河野談話は以下のようなものだ。

今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

まずこの慰安という言葉が気持ち悪すぎる。女を性の相手としてしか見ない行為に対して慰安という言葉を与えられる精神性ってなんなのか?援助交際という言葉もあるが、これはむしろ言葉を感情面において価値中立的にしている感じだが、慰安婦とはなにか、慰安婦は男に慰安を与える存在で、男は慰安を得る存在。女が好き好んで慰安婦などやるはずがないのに、どうやって慰安を得ることができるのか?得ることができるとすればその理由は相手を力でねじ伏せたことによる優越感、それ以外には考えられない。