イノベーションの原点

現在日本の低成長という現実を前にあらゆる人がイノベーションという言葉を口にしている。口でいくら言ってもイノベーションなど起こせないというもっともらしい意見とともにそれでもそれを支援する体制は重要だなどとして日銀などでも取り組みを始めている。

イノベーションとは技術革新などと訳されて、それは生産性の質的量的向上の原動力であり、それが成長をもたらすというものである。しかしこういった発展というものには前提が必要なのである。

発展するための前提の一つは歴史的な保存である。過去に対する認識なしにはそれが発展であるのか停滞であるのかが分からない。しかし歴史的な保存を行うといった場合、それは何の歴史を保存するのかという問題が起こる。どちらが正史でなのかと言う問題は常に起こってきた。これに対して一部の人たちの主張は簡単で、自分たちの見方が正しいのだからそう感じない人間はあきらめろ、希望を捨ててゼロから考えろという強引なやりかたである。こういう言い方に納得できるほど人間は単純にはできていないから必ず抵抗されると言う形をとり、発展のための共通の前提を持つことができなくなる。つまりは日本とはどうあるべきなのかという共通の前提が必要なのである。

日銀の白川総裁は人々が未来に対して希望を持てるようにすることが大事だと言うのはそういうことだと思うが、現在の日本の言論は各々自分の立場を主張するのみになっている。共通の前提がある上でのそういった言論ならいいが、それなくしてそういう争いは完全な分離になってしまう。だから今は誰しもが他の主張との根源的な違いを理解する努力が必要になってくる。

その一つの壁になっているのが経済学である。経済学は人間の行動をともなう学問にもかかわらずこういったことを一顧だにしなかった。これを越える視点がまず必要になる。もう一つはマスメディアであるが、現在はインターネットの不朽でその影響力は小さくなり、それが絶対的基準であるという了解はなくなっている。

ツイッターがガラパゴスを凌駕する

ツイッターについてはいろいろと書かれていますが、もう一つ別の視点からツイッターが明らかにするものは、誰がそれに積極的に参加していて、他のユーザからの質問にも正面から答えているかということにあると思います。特に権力を持っている人がツイッターに対してどう向き合っているかを調べてみるとおもしろいです。

まず大企業の偉い人でツイッターに参加して積極的に発言している人を調べてみると以下のような人がいます。

孫正義さん。孫さんへの書き込み。

三木谷さん。三木谷さんへの書き込み。

孫さんは書き込みに対して返信とかもしていてすごいと思います。

トヨタは調べてみたけどアメリカにはあるようですが、日本にはないようです。アキオさんには期待していたんですが、未だにガキを使った不快なCMなどを見ていると、若者は度外視なんでしょうか。

他にも大企業について調べてみてもこんなデータなども見つかって、大企業ほどこういったことには消極的であることがわかります。

消費者の視点で見れば、他の条件がすべて同じ場合、ツイッターに社長がいるのとそうでない場合は前者のほうがプラスに作用することは間違いないと思いますが、既存の思考に凝り固まった社長の場合、マイナス面にばかり目がいってこういう事が出来ないのでしょう。

今話題のマツダがありました。しかし事件については何も載せていません。その他にも大企業のアカウントはあるのですが、孫さんのように偉い人が直接出てきている例は殆どないようです。

あとドコモの社長が、140文字では短すぎるとか言ったり、孫さんがそのことについてツイートしていたり、孫さんのスゴさが際立っています。今後は、ガラケーとかいう技術の問題より、こういった社長の社会性が企業の利益に重大な影響をおよぼすようになると思います。

http://twitter.com/hmikitani

国体の本義 感想文

国体の本義読んだ。

日本としての日本、日本から生じる日本、日本のことだけで日本を説明しようとする情熱であふれています。西洋は個人主義だけど、日本は違うんです。家族なんです。そしてその延長の天皇なんです。みたいに言っています。

最近自民党が保守だ保守だと騒いでいますが、まったく中身のない、どこに持っていってもそれなりに通用するような言い回ししかできずにいます。保守と言ってもその体のいい定義を述べているだけみたいな感じです。せめてこの国体の本義のように日本中心に考えなくては人々はそれに情熱をもつことはできないのではないでしょうか。

個人主義ということばは今も否定的に使われていますが、この言葉は哲学や思想の文脈ではあまり出てこないと思います。そのせいか背後に体系がなく、単に「わがまま」みたいに使われています。

個人なんていう概念は人間にとって当然過ぎるので、問題は個人か否かではなく、どのように個人が生まれるかとか、個人のありかたはどう決まるかとか、個人は何をするかとか、だと思います。

国体の本義の弱点は、個人と家族を敵対させて、その関係を論じていないこと、さらには社会との関係を論じていないこと、天皇との関係を一方的服従としてしか論じていないことだと思います。あるいはそこからの和解の道が示されていないことです。

また西洋には対抗していますが大陸の概念と思われる忠とか義とか孝とか多用しています。忠として天皇を見ることもしていて、それは天皇が神ではないという視点も含まれています。漢字を使っておきながら大陸の概念を捨象することはやはり無謀と考えていたのでしょうか。そうならば、今となっては西洋を捨象することも無理です。

和という概念もやっぱり出てきました。大事だそうです。ただやっぱり大事だ大事だというだけで、それがどのように日本の中で行き続けてきたのかが書かれていません。この和を日本の歴史を貫くキーワードとして日本のあり方を示し、すわなち和そのものの展開を示して、様々な困難の中でいかに和が自らを陶冶してきたのかを記述するのが保守が示す日本の一つのあり方だと思います。

江戸時代で中国に学ぶのをやめましたが、今となっては西洋に学ぶことはもうないように感じます。学問にしても文化にしてもです。あとは政治が自らに自身をもってもらって、あの国ではどうだとかこの国ではどうだとかいうのを止めてもらって、保守としてのあり方を示してもらえるでしょう。