党首討論について

経済

国会の党首討論を聞いていたが、やはり経済に関しては政府も野党も十分な認識をしているとは思えなかった。安倍(以下敬称略)はリフレ派の取り巻きに影響されてだろうが雇用だけをことさら強調しマクロ的だなどといって自賛していた。データを見れば2012と2015を比べてみると大体以下のようになる。

実質GDP:1.9%上昇
就業者数:2.2%上昇
消費:調べてないが大きく下落

つまり雇用が増えた分のGDPすら上昇していない。だいたい増えている雇用は介護であって、今後介護の需要が大きくなることを考慮すればこの領域は如何に人を使わずに需要を実現するかが課題であるはずだし、なにより消費が大きく下落している。GDPは生産の指標であるから、消費は海外であってもいい。アベノミクスは海外のために日本人に生産させたのである。もちろん海外のために日本人が生産することそれ自体はもんだいない、しかしそれはまず日本人が第一であって、日本人の消費を減らしてまで海外に貢献する道義はない。

税収増も結局この中のおこぼれから出てきたものなのだから、それならこんなことをせず初めから税でとったほうが効率がいい。しかし現在リフレ政策が一周してわかったことは、リフレをやれば税収が増えるがGDPは増えない(リフレをやめた2016のGDPは上がっている)ということであり、リフレをやめればGDPは増えないが税収が減るということである。となれば答えは簡単のはずで金持ちから取るということにしかならない。それが国際環境的に一国では無理というなら国際ルールとして規定する努力をすべきだ。

カジノ法案

カジノも発想は同じである。海外の金持ちのために日本人を働かそうというのである。こういうことになれば日本人同士の物質的関係が希薄化することであり、それは人間の幸福度や実存にかかってくる。簡単に言えば生きがいを感じなくなるのだ。カジノの問題でも依存症やら犯罪ばかりが注目されているが、それは国民の水準によって乗り越え可能であり、本来的には誰でもカジノを運営できるべきだし誰でも楽しめるべきなのだから、それを問題にするならばなぜ依存症や犯罪に結びついてしまうのかを考慮しなければならない。安倍がカジノを成長戦略と視点は表象的な数字しかみておらず、経済は国民の精神を構成する重要な要素だということをあまりに軽く見ている。がそれは取り巻きの経済学者のせいでもあるだろうから少なくとも経済に関しては現在過渡期であり、がくもんそのものも未成熟性もあって画一的な見方は危険だということを知るべきで、意見の違う人間の話を総体的に判断して政策を決定すべきだ。安倍はことさら責任を強調するがその意思が見えないのは自分で判断していないからであり本当に責任をとりたいなら自ら根拠を理念に照らして判断するという経験を積むべきだ。

南スーダン

共産党は憲法を理由に撤退を求めていたが、この問題はそもそも国連に十分な力がないことにある。国家を成り立たせるにはいくつかのレベルが必要であって南スーダンが今どの段階にあるのかという問題意識がない。アメリカは常に単純に考えて3の水準にしかないところに10の要求を実現できると信じ国際的に失敗を繰り返し、その反動として国際社会から身を引くとか言う言説も表れたりするのだ。今の国連も同じようなところがあって本来のPKOの枠組みを超えて頑張っているが、このままだといつまでも居続けるか、いなくなったらまた内戦になって無意味だったということになりかねない。

もし南スーダンがこの水準ならば選択肢は2つで、一つは無視するか、もう一つは国連がもっと権限をもって実効支配するかだ。一国でやれば侵略になってしまうのだから。

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ぐだぐだだった2014経済

マイナス成長で終わりそうな2014経済なにが起こったのか。

13年に始まったリフレ政策は異次元の緩和を行うことによりマネーを供給し、インフレ予測を上昇させ実質金利を低下させ投資や消費を促進するはずであった。

まず起こったのが株高と円安でそれによって資産効果による消費拡大や輸出企業の業績が上がった、資産構成のため住宅市場も活性化した。それが13年だった。

しかし資産効果には限界がある、というよりこれは株価上昇分だけしか反映されないものであるから無限に緩和できない以上効果は一時的だ。
輸出企業は円安を価格に転嫁することをせず、円安分が利益になったが、それだけのことでマネーの問題に過ぎない。

そしてマイナス面が2014に影響してきた。無から価値は生み出せない。資産家や輸出企業が儲けた分は一般国民の物価上昇をもたらし、これによって実質賃金は低下し消費も落ち込んだ。資産効果は一時的だがこの物価上昇は永続的に影響をもたらす。

リフレ派の主な主張は雇用改善だったが、この雇用もインフレによる生活悪化に対応したものでもあり、新産業によるものではなく、いままでの設備を人に置き換えたというもので、喜ぶべきものではない。その結果がGDPマイナスだ。

2015が始まった現在、日銀の態度は気弱になっており原油安によるデフレ圧力に対して緩和をするという意思決定ができなかった。リフレ熱はもう終わっており、出口戦略と現状復帰が今後の課題となる。

アンチリフレにもさまざまな人種がいて、ネオリベの多くもその中に含まれるので注意しないといけない。彼らは生活悪化や格差については口にしないのが特徴だからすぐわかるが、リフレがだめだったからといってネオリベならよいというものではない。現在の経済は資本主義の末期であり国家が積極的に、民間の活力ではなく、経済の、実体経済の構築をしていかなければならない

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集団的自衛権、日本には戦争に向かうのか

集団的自衛権はグローバル化にともなう不可避ではないにせよ自然な流れである。直接的な原因は2つ、ひとつは中国の台頭と覇権主義、ひとつはテロとの戦い。

中国の台頭は利潤の上がらなくなった企業が進出したことによるもので、日本としては一方で中国を強化し、その力に自ら苦しめられるという矛盾にある。

安倍政権の右翼姿勢は、国内だけの問題では「愛国心」をいろいろ散りばめる位で、いざアメリカとの関係になれば影響はないだろう。アメリカの安全保障の基本レベルの軍事バランス均衡化と上位にあるアメリカ的価値観を反映した外交がある。

軍事バランスにおいて経済的に成長した中国が軍事力も強化し、それがこの地域の軍事バランスを崩している、それが日本版NSC、秘密保護法、集団的自衛権の背景にある。

これだけなら、日本が集団的自衛権を推進するのもやむをえない様にもみえる。もちろん日本が独自に経済成長し軍事力を強化していればよかったがそれは後の祭りだし、この先も期待できない。

しかし問題はこれだけではない。日本企業が出て行くのは中国だけではない、そこでテロとの戦いに出くわす可能性がある。この戦いはアメリカも戦っている戦いで、中国とは平和的解決が中心に置かれるが、これはそうではない。

オバマは石油の海外依存からの脱却を目指している。同時に産業の国内回帰、made in USA, Insourcingも主張する。そして国内で成長させた産業で海外との競争を積極的に行おうという考えだ。これはアメリカが内に向かう力と外に向かう力両方を強めることになり、これがアメリカのテロとの戦いにどう影響するのかは測りがたい。

集団的自衛権は日本周辺に限定しているという話も聞かない、このテロとの戦いにどの程度巻き込まれるのかが問題となる。日本は企業に対し、外に出ることを一貫して推奨し内に向かう力を抑えてきた。アルジェリアでの事件もあり、これからテロに巻き込まれる可能性は高くなる。

アメリカが日本との集団的自衛権でこういったテロまで想定しているかは定かではないが、機が熟したときに共同で対テロ戦争をしかけることになるかもしれない。

産業競争力強化法案は達成不可能

http://www.meti.go.jp/press/2013/10/20131015001/20131015001.html

経産省曰く

本法律案は、20年以上続いた我が国経済の低迷を打破し、力強い経済を取り戻すために策定された「日本再興戦略」(平成25年6月14日閣議決定)に盛り込まれた施策を確実に実行し、日本経済を再生し、産業競争力を強化することを目的としています。

そして産業競争力とはこの法では

この法律において「産業競争力」とは、産業活動において、高い生産性及び十分な需要を確保することにより、高い収益性を実現する能力をいうものとすること。

高い収益性は企業は追い求めるとしても、政府が求めるものではない。高い収益などなくても経済の成長というのは可能なのである。

経済の成長とは、人間が求める新しい人間のあり方を商品やサービスで形にすることであり、それが経済的に回ることである。高い収益性はむしろ今のような低成長に陥った経済環境では邪魔になるものなのである。

そしてこの法では以下のようにも言う

「産業活動における新陳代謝」とは、産業活動において、新たな事業の開拓、事業再編による新たな事業の開始又は収益性の低い事業からの撤退、事業再生、設備投資その他の生産性の向上又は需要の拡大のための事業活動が行われることをいうものとすること。

ここでも収益性が謳われ、設備による生産性の向上が収益結びつくとみないしている。

これはまったく逆であり、今の時代は設備による生産性の向上は収益の低下に結びつくのである。

こんな定義でなにをやっても市場経済としては失敗せざるを得ず、成功したように見えても政府の支援のものにということになる。

経産省は古い考えを捨てるべきだ。

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安倍氏が日銀の国債購入を提唱

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121118-OYT1T00481.htm?from=tw

「建設国債をいずれは日本銀行に全部買ってもらうことで、新しいマネーが強制的に市場に出ていく。景気にはいい影響がある」

ついに最後の箍が外れた感じ。日銀が国債を買い取ることを始めたら財政に頭を悩ますことはなくなる。

そもそもカネに価値があるのはなぜか?一般には信用という言葉が持ち出されて、他の人もそう思ってるからとかいう説明がなされる。しかしこれだとなぜ人がそう思うのか、あるいは価値とはなんであるか、という問題をスルーすることになる。

経済で価値を持つのは商品やサービスであり、どちらも労働の支出。カネはこれらの交換の媒体であることによって価値があるものになる。お札を一枚作るには数十円しかかからないが、その量や製造の厳格化によって、質、量ともに守られているのでそれが保障される。

経済は需要と供給で成り立っていて、需要のないものは作っても売れないので、いつかは作られなくなる。そして供給側は競争をしているし、人間にはいいものを作ろうとする動機があるので、商品はどんどん進化する。

政府が自由にカネを作れるとなれば、このカネをつかって人を雇い生産をする。しかしそれが需要に適っている保障はない、それにもかかわらずカネは無限につくれるので、いつまでも続けることができる。

需要のないものがどんどん作られても商品の発展には貢献していない。それは需要によってのみ計られるるからだ。

それでもカネは国民に流れる。商品が発展していないのにカネだけが国民に流れるとすればそれはインフレになる。

今はデフレだからインフレはいいものという間違った見方がある。このようなインフレはただ単に商品の価格上昇しか意味しない。商品の質は上がらないのに価格だけ上がることになる。

それでもデフレは解消し経済は良くなるという考えも間違っている。経済が良くなるかは利潤獲得機会があるかどうかで決まる。上記のようなインフレではこれはおきない。

しかも一度始めてしまえば、もしそれをやめれば失業者が出ることになるし、生活や命に関わってくる。そう簡単にやめるわけにはいかなくなる。

安倍氏の発言からはこういうことまで考えているとは思えない。少なくとも国債を日銀に買ってもらったカネで何をするつもりなのか、やめられるのか、そしてそれが危険な一歩であることを示さなければならない。

こういうカネのつかいかたでも、絶対悪とは言えない。それが経済のインフラ整備に使われ、そのインフラの上で新たな経済活動が進展するならばだ。

朝生2012/7 感想文

民放ではほとんどなくなったしまった見る価値ある番組のひとつ。

憲法の話。日本が衰退しているからどうにかしなければならない。それで改憲なのだという。

自民の改憲は戦前にもどる改憲で、一般に保守も含めて彼らの考えは、戦後の社会の全否定にある。経済はいい、でもそれ以外は全部駄目、うそ、まやかし、洗脳。よって戦前に戻れば真の日本が実現する。というわけだ。

東氏のは、グローバル化だからそれに合わせた憲法だという。しかし、日本の衰退の原因は憲法にはない。日本が内向きなことでもない。一義的には経済である。グローバル化を経済とそれ以外に分けるとすると、日本の衰退は経済グローバル化というのは資本主義である限りの必然的な過程で、それ以外のグローバル化とは、人間の意志を基盤とする過程であるが、それは可能的なものでしかない。よって「グローバルしたから」という言葉は多くの場合経済グローバル化(グローバル資本主義)を指す。

東憲法の弱点は2つ。

1つは「グローバルしたから」という外からの圧力によって憲法を変えるという単純な外発的対応。1つは「話し合い」の過大評価。たとえば朝生には人の考えを変えるほどの力はない。それがあるのは体系的な全体を示した知であること。東憲法では日本の衰退は逃れられない。

自民憲法は無効論も含め全否定の立場で知的にもっとも低級の立場。

護憲派の弁明

日本の衰退をぎりぎりのところで押しとどめているのが現憲法であること、「戦争放棄」「生存権」「職業選択の自由」。これに対して政府、国会は憲法を乗り越えてより衰退を目指しているということ、「集団的自衛権」「雇用のミスマッチ」「公務員7割削減」。目指すべきは憲法の精神を為政者に理解させ実行させること。

押し付け憲法論。押し付けられた憲法がひどいものであるなら、すぐに日本人はそれを変えたはず。憲法がすばらしかったとともに、それを戦後保守した日本人もすばらしかったということ。

誇るべき理念。アメリカなら「自由、平等、人権」等をいえば、国是とできる。日本に何があるのか。平和憲法しかない。これを守ったことを誇ること。

グローバル資本主義への対応。先進国含めた憲法の問題は資本主義への対抗原理を含んでいないこと。

リベラルが護憲連呼で代替案をださないと勝てない論と価値観バトル飽きた論。上記視点を体系的に示せば勝てる。

具体的には

製造業(あるいは資本集約型産業)の支援とともに義務も化すこと。義務には製造工程の機械化の義務、あるいは単純作業を減らしていく義務。市場的の労働力価値決定を保守しながらの利潤至上主義からの脱却。マネーにおける需給から民主主義的生産決定。資本集約に応じた、株、社債、金利などの段階的優遇措置。

日本独特の労働事情から、36協定撤廃。労働時間の厳格化。本来の労組の役割は国が肩代わりすること

老朽化したインフラの整備では景気は回復しない

昨今出てきた言論、老朽化したインフラの整備をして景気回復、デフレ脱却は嘘である。まず老朽化したインフラというのは、それを破棄するという選択をしない以上、いつかは発生するものである。破棄するということは、原則的には、社会の高度化を引き下げるということになるので国家が取るべき政策ではない。

もう一つの嘘は、企業はデフレなので事業投資できない、というものである。企業はインフレだろうがデフレだろうが名目としての貨幣が増えるなら投資するし、増えないならしない、という単純な原理でしかない。そのほかにも、デフレだからという言い方でデフレが原因のような命題があるが、デフレは結果とみるべきものである。

こういった議論は新自由主義から脱却している点では評価できるが十分ではない、必要な政策は経済構造を変えることである。どのように変えるかの条件は、資本集約から労働集約への転換が経済的な条件である。しかし今言われているのは、医療や介護であって、これらはあくまで社会の下支えを担うものであって、社会の発展の原動力としては希望を託せるものではない。

橋下批判

朝まで生テレビを見ていたら、東浩紀とかチノさんとか若手の論客の人たちが橋下市長を肯定的に捉えていて以外だったので、否定的側面も記述したい。

まず、日本の衰退の原因は経済的衰退が原因であるが、経済の衰退を原因と結果のなかでどのように位置づけるかという知的作業は十分になされていない。当の経済学がこの問題からは逃避しているため、政治家は解決の拠り所を見つけることができず、場当たり的な政策しか示せない。

およそ自性的活動をするもので永遠に活動できるものはなく、連続的なすなわち形式論理的な運動しかできないものはいずれ死を迎える。これは人間に肉体にも当てはまるし、市民社会まかせの経済にも当てはまる、この死から逃れているのは論理の飛躍を成し遂げられるものだけであり、それは精神的なものだけで国家や概念である。

哲学でも仏教でもこうした死生観は共有されているはずであるが、資本主義、市場経済は一部の人間の考える自由のもっとも高い形態としてイデオロギー的に固定されており、その真実は明らかになっておらず、当の経済学がそこから抜けだそうとしないために、逆に市場経済を永遠のものであるべきだ、という述語になって現れている。

学的基礎を欠いているが、焦燥感やエネルギーはあるために政策がどういう方向に向くかは偶然的でしかない。しかし経済を回復する条件としては国家が支配的に乗り出すことでしかありえない。今この問題に対してもっとも正しいアプローチをしているのは、中野剛志の先生の京都大学の浪花貴風のあのおっさん教授である。

政府が介入することによる一般的に広まっている誤解は財源が必要ということであるが、国家には強力な権限があるのであるから、規制強化だけでできるのである。

橋下市長が何をするのかは偶然的であるが、今までしたことは行政改革と労組いじめである。しかし問題は経済改革であり、これは特殊的なものにすぎない。おおまかに言って彼は新自由主義的思考の持ち主であるから、国家的レベルでは彼の改革は失敗する。しかし地方的に見れば成功と見られるような成果を残す可能性があり、これが日本の本当の復活を遅らせる可能性がある。

彼の企業優遇政策により大阪に企業が集まることにより、大阪が経済的数値で見ればその規模を拡大することから始まる。しかしこの誘致は多くは国内での移転でありゼロサムでしかないようなマイナスサムである。これが大阪の成功と捉えられ、他の各地方または中央がこれにならい、そのために国家的には大きく停滞するという道筋である。

マルクスとTPP

TPPの歴史(アスペクト1)
封建的、地主貴族ぼろ儲け

アダムスムスぶち切れ、自由貿易へ←日本の推進派いまここ

自由貿易ってなんかおかしくない?

フェアトレードへ

フェアトレードもうまくいかなくない?←世界いまここ

理論

世界で勝負できる分野にとっては、自由貿易の拡大が自らの存在を保障するものになる。

輸入資源に関税がかかれば、輸出品の価格に上乗せされる。輸入食料に関税がかかれば、賃金に上乗せされる。

資本主義経済は、進展すればするほど、利潤が出にくくなる。と同時に資本は利潤を他の場所に求めるようになる。他の場所のひとつはグローバル化であり、賃金の削減であり、イノベーションである。グローバル化とは国を開くとか、効率化を求めるとか、安い商品を求めるとかの人間の意識的な動機以前に、そうしなければ資本主義が維持できないという構造的問題である。賃金の削減はすぐに、人が生きていくために必要な最低限は絶対に必要という限界にぶつかる。イノベーションはいい物を作っているはずなのに、利潤がでないという矛盾にぶつかりもはや知能の問題や技術の問題でないことが実感されてくる。グローバル化以外の限界はすぐに来るので、グローバル化自体に限界があるにしろ、グローバル化が求められるようになる。

世界は、民族や理念やその他の偶然的な理由によって、国家によって区切られている。国家への国民の求心力が強ければ強いほど、グローバル化との軋轢は大きくなる。が、その力が他に増して大きな国家はこのグローバル化の立法者になる。

マルクスの実践的態度
国家に嫌われつづけて、国家なんか信用しない、否、そんなもの幻想にすぎないと考えるマルクスにとって自由貿易は国家をぶっ壊してくれるいいやつ。ヘーゲルをぶっ壊してくれるいいやつ。唯物論の正しさを証明できるいいやつ。である。

保護貿易をしたところで、ブルジョアが守られるだけ、労働者は守られない。ならば自由貿易を進めて、資本主義の矛盾を限界まで押し進め、だれもがマルクスの言ってたことが正しかったーと言わせたい。これがマルクスの実践的態度。「万国のプロレタリア団結せよ」

その結果
万国のプロレタリアは団結なんかうまくいかない。レーニンのときもそう。中途半端になった。

現在取るべき実践的態度
資本のグローバル化を食い止める。労働者はグローバル化できない。国家の倫理はそれほどに強い。しかし、国内で資本主義やってても停滞。よって国家による経済政策。になる。

どのような政策か。理想はインフラ。しかもその上で新しい市場が起こるインフラ。これはアメリカがよくやる。あるいは生産設備共有化。

リフレ派的政治家

みんなの党が、日銀法の改正案をアップしていたので見てみましたが、予想通りの内容でした。

まず雇用の安定を入れるというもの。アメリカもいれてるからだと思いますが、対した違いなどないでしょう。

つぎに、政府が物価安定の基準を決めて、日銀が実行すると言う、目標と手段の分離とか言われているもの、この法案で重要なのはこの点だけでしょう。

しかしその前にリフレとはどんなことだっかか自分なりに整理。

もともと中央銀行の仕事の一つは金融の安定化で、景気が加熱しすぎないように、あるいは景気が冷え込みすぎないようにするために、公定歩合という、日銀が市中銀行にお金を貸すときの利率の調整で、景気を調整してきた。

金融の自由化で公定歩合がなくなり、その代わりにコール市場のオーバーナイト物とかいう、銀行間の資金の貸し借りで、短期の物の金利を、ある水準にうながすことによって行うようになった。うながすとは、例えば2%でうながしたい場合は、それを越えそうな時は資金を供給するとかいうことだと思われる。

しかし、それが0%になってしまった。景気が冷えているときは金利を下げなきゃいけないのに、0になってしまってもう下げられなくなってしまった。

そこで量的緩和が出てきた。金利を下げられないなら、お金を市場に出すことで景気を刺激しようというやり方だ。そして日銀はたくさん緩和してきた、現在でも包括的金融緩和が行われていて、たしかCPIが1%位になるまで、緩和を続けると約束した。これを時間軸効果と言うらしい。

それでもまだ足りないという人たちがリフレ派の人たちだ。彼らの主張を知ってる限り考えてみる。まず、単に市場にカネがないから、市場にカネをだせという主張。これは市場にはすでにカネがあるからもういわれていないと思う。市場にカネがあるソースはヨタイ率などの指標。次に、実質金利を下げるために、カネを出せというもの。実質金利とは物価で割ったものだから、実質金利が変わるためには物価が変わらないとならないが、日銀が直接国民にカネを配ることはできないので、銀行や大企業にカネを出すことで、物価を変えるということになる。消費者物価指数は消費者の消費が多い物が大きな比率をもつから、まずは銀行や企業がこれを買うことによって物価があがるか、ということだが、消費が多い商品は投資や投機の対象にはなりにくいので、直接買うということはなさそうだ。しかし投機として、米を買ったとして、それで物価が上がると消費者がまず困るけど、その困った分をうあまわるほどのいいことがあるのだろうか。また、資産価格が上がって、金持ちがより金持ちになるので、消費が増えるというもの。まず金持ちの全体数が少ないということ、金持ちがそれを消費に使うか投資や投機に使うかは定かでないこと、などから景気にいい影響を及ぼすか分からない、つぎに実質金利が高いから企業がカネを借りられなれないとかいうもの、これもよくわからない。企業は100投資して110返るなら、すなわち儲かるなら投資するはずで、デフレかインフレかは関係ないように見える。100投資して110返るならもってる方が得と言うことにはならないはず。つぎにインフレにしてカネの価値がどんどん下がれば、企業は投資するしかなくなるというもの、これも同じような意味で分からない。100投資して90しか帰らないならどんなインフレでも投資などするわけない。そういうわけでリフレ派の言うことはよくわからない。

次に出てきたのが、緩和して財政政策するというもの。財政政策はいいとして緩和がどう関係あるのかよくわからない。

あとは円高だから緩和して円安に、というもの。緩和すれば円が増えるのだから円安になるという考えだが、これは単純な数量説的いいかたで、例えば数量説と言っても、印刷局が札をすって、それを金庫に保管するだけでも量は増えているが、これだけで為替に影響があるわけはない。良といってもどの量なのかということも考えといけない。それで出てくるのがバランスシートで、日銀のBSが増えれば、その分は銀行にいくから円安になるだろうか。そもそも為替が必要なのは貿易するからで、この貿易の入りと出の量によって決まってくるはずで、そしてこの貿易は定常的に行われているわけだから、緩和あるいは介入にしても定常的に行わなければならなくなるのでは内科と思われる。

そういうわけでリフレ派の人の論理は納得がいかないことがすごく多い。それでもこのことを主張する政治家が多いのは、前にも書いたように資本主義絶対不変の原理に固執しているからだろう。失われた何十年がなぜ起きたのか、なぜ成長率や金利が低下して来たのか、リフレなどの論理不十分なことを考える前に原因を考えた方が健全だと思われる。

さて最初の目標と手段の分離にもどるが、前にも書いたように目標と手段はそもそも分離できる物ではない、手段が絶対存在しない目標は本当の目標になりえないし、目標が無いところに手段を考える意味は無い。政治家が日銀にこんなことを要求するのは、資本主義絶対説に固執しているからに他ならない。しかしこれをやったらどうなるだろう。政治家は3%を目標を設定する。日銀は最大限努力してできない。そして首になる。そんなことが続くうちに変な奴が総裁になって、パニックになるかもしれない。できもしないことを命令してもしょうがないし、命令するなら絶対できるという確信を互いに持ってなければならない。政治家は経済に関して何もかも日銀に押し付け過ぎている。停滞の理由を深く考えることもせずに、自分の仕事ではないと思っている。みんなの党の改正案は自分がこんなこと上司に押し付けられたらたまらないと感じるのですごく気分が悪い。みんなの党だけじゃない。自民にも民主にも社民にもいる。こういう人は、一同に会した方がいいと思う。それでこんな法律じゃなく、カネの管理はすべて自分たちでやる、そう言うべきだと思う。